英語の上達には英作文や話すことが大事だといいます。読んだり聞いたりするだけではなかなか上達しません。そりゃそうです。なぜならば言葉というのは表現するために生まれたものだからです。
高校のときの英語の先生が言っていたことで、今でも印象に残っている言葉があります。「英語を学ぶときは漠然と英語をしゃべれることを目的にするのではなく、外国人の恋人を作るとか大学で海外留学するとか、将来海外の人と一緒に仕事をするとか、そういう”英語を使う具体的なシーン”を思い浮かべて勉強したほうがいい。」
確かに!と当時の僕はいたく感動しました。
具体的なシーンを思い描いてみる
もちろん思い浮かべたのは金髪碧眼の、できればニコールキッドマン似の女性と燃えるような恋をすることでした。(当時、録画した『誘う女』を深夜親が寝てから見るのがマイブームだった)
〜以下、回想〜
大学を首席で卒業して、学問を深めるためにヨーロッパに国際留学したのだが、そこで教会の前で涙に暮れるニコールと運命的な出会意を果たす。
僕はその姿に心を奪われ、いろいろあって、同棲もし、ついには僕の子供を身ごもる。しかし、あまりにも留学先で優秀な成果を収めすぎたせいもあり、安倍総理が僕に帰国を勧める。ニコールを捨てて帰国すれば日本を変える仕事ができる。国費留学させてもらった恩を返すべきではないか。僕は悩む。本国をも失ひ、名誉を挽きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られんかと思ふ念に苛まれる。そして、さらにいろいろあって僕はニコールを捨てる。ニコールは僕が彼女を捨てたことを知ると気が狂ってしまったのだった・・・。
そんな未来を夢想しながら勉強にまい進したのですが、結局あれから10年(10年!)経ってもニコールは僕の前に現れてこないし、僕はニコールが2008年に金にならないスター第1位に輝いたことを知ると気が狂ってしまったのだった・・・。
異質な存在「古文」
閑話休題。
何を話していたかというと、なんだっけ、そう、外国語の習得についてでした。冒頭では英語についてのみ書きましたが、基本的にどんな言語に対しても、能動的に表現することでより学習効率が上がるという話は当てはまると思います。
日本語、中国語、ドイツ語、フランス語、タガログ語、エスペラント語、アラム語、手話、ニカラグア手話、C言語、みんなそうです。
さて、そんなことを考えてみると、我々が学んできた様々な言語のうち、異質な存在があることに気づきます。
そう、古文(漢文)です。
健全な男子高校生の悩みといえば、
(日)S○Xはどれほど気持ちがいいのか
(月)自分の生きている意味は何か
(火)なぜ古文をやらないといけないのか
(水)S○Xはどれほど気持ちがいいのか
(木)S○Xはどれほど気持ちがいいのか
(金)S○Xはどれほど気持ちがいいのか
(土)S○Xはどれほど気持ちがいいのか
の4つだと思います。
当時の僕も古文なんてクソの役にも立たないことなんてなんのためにするのか、そもそもクソとはなんだろうか、飯食ってクソして寝るだけの人生にどんな意味があるのだというのか、死にたい、みたいな中二病を患っており、古文も俺ももう今の時代では生きていけないのかもしれない……みたいなことばかり考えていました。
しかし、今思い返せば、それも結局古文という言葉を表現のツールとして認識できていなかったためではないでしょうか。古文を表現の1手段として見直してみたときに何か生まれてくるものがあるのではないでしょうか。
ギャルとばっかり付き合っていた友人がいきなり黒髪清楚系の女の子と付き合ったりするのも同じような気持ちだと思うのですが、社会人になって、簡潔に言え、結論だけ言え、include <stdio.h>みたいなことばっかり言われるようになると、古文のようなゆったりとした趣のある言葉にどこか惹かれてしまう自分に気づくようになりました。
僕も平安時代の貴族みたいにおじゃるおじゃる言って日がな毬蹴って過ごしたい!そんな気持ちに苛まれるのです。そんな僕が、古文を話したり書いたりできるようになりたいと思うまで、そう時間はかかりませんでした。昨日のことです。高校時代にそう思っていたらもっと古文を楽しく学べたのかもしれません。
そんなわけで、実際にやってみましょう。
例文)僕の生活
【古語】
けふおどろきて外の方をみいだすにすでに夕暮れなりけり。
夕日のさして山の端いと近うたりなるに、からすの寝どころに行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさまあわれなりけり。
飯はみ而して着る物をも解きあへずくそひり懸くりて寝ぬるもをかし。
【現代語訳】
今日起きて外を眺めるともう夕方になっていた。
夕日がさして山の端にたいへん近くなっているところに、からすがねぐらへ行こうとして、三羽四羽、二羽三羽などと飛び急ぐ、そんな様子がしみじみとした情緒がある。
ご飯を食べてから服を脱ぐ間もなく下痢便を垂れかけて寝るのも趣がある。
参照:枕草子
さぁ、どうでしょう。夕方に起きて飯食ってクソして寝ただけの日々がなんと風情のある一日になってしまったことでしょうか。
次は物語にも挑戦してみましょう
例文2)小説
【古語】
今は昔、男と女ありけり。
此の男、十二月の二十四日の子の刻ばかりに、女を具して参りけり。
女、年三十ばかりにて、形・有様も美しかりけり。
男、女を引き、手触る。
隣もなき野中なれば、女叫びおらびて、「あな!あな!いとこころよし」と云ひける。
その後、雪の降りたるがいとあわれなりけるとなむ伝えへたるとや。
【現代語訳】
昔あるところに男と女がいた。
12月24日の深夜に、男は女を連れて現れた。女は30歳ほどで美しい容姿をしていた。
(中略)
その後、雪が降るさまがとても風情があったと語り伝えられている。
参照:今昔物語集
いやぁ、風情がありますね。暗喩としての雪がいい味を出していますね。
あとがき
さて、2個ほど書いてみましたが、高校時代からやっていれば今頃もっとすごいものが書けたはずなのに残念な気持ちで一杯です。もっとまじめに勉強しておけばよかった・・・
そんなわけで、皆さんもときどき古文作文してみてはいかがでしょうか。
日々の生活を違う感覚で捉えることができるかもしれません。受験生の皆さんは、絶対古文の成績が上がると思うので特におすすめです。
ちなみに、高校時代は古文の参考書にマドンナ古文を使っていました。調べたら今でもあるみたいですね。おすすめです。
社会人の方は基本的な単語・助詞・助動詞から儀式や風俗についてまで、例文を混じえて幅広く学ぶことができる、古文研究法をおすすめします。仕事に邁進して疲弊仕切っているでしょうけど、たまには趣を感じることも重要ですよ。
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