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徒然なるままに・・・

就職→起業→独立(いまココ)の日々を綴ります。

「クライマーズ・ハイ」 - 日航ジャンボ墜落事故を背景に、地元新聞社と彼らを取り巻く人間模様を描く

読書記録

遅ればせながら、初めてクライマーズ・ハイを読んだ。テレビドラマや映画の断片を見たことはあったが、日航ジャンボ事故を描いた内容としか知らず、全てを通して見たことはなかった。伊坂幸太郎の小説が好きであるならばきっと気に入るはずと友人に勧められ、購入したもののなかなか手につけられずにいた。

小説は嫌いではない。ただ、一度手に取るとやめられないタチで時間を忘れてどんどん読み進めてしまう悪い癖がある。小説の世界に引きずり込まれて脱出できなくなってしまうのだ。

 

最近心に余裕ができてきたので、手にとってみた。開始十数ページで止まらなくなってしまい、寝る間を惜しんで読み終えてしまった。新聞の真の報道とは何か、命の重みをスクープの大きさで測っていないか、家族を作るということはどういうことなのか、過去の栄光に縛られて判断が鈍っていないか・・・。いろいろと考えさせられる内容だった。今日はそんな「クライマーズ・ハイ」を紹介する。

 

あらすじ

1985年、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した。乗客乗員524名のうち、520名が死亡する未曾有の大事故となった。

当時衝立岩登攀を友人であり地元新聞社「北関東新聞社」同僚の安西と目指すため、まさに会社を出ようとした主人公「悠木和雅」は全権デスクに任命され、約束の時間に待ち合わせ場所に行くことができなくなってしまった。一方の友人安西はその時なぜか道端で突如倒れ病院に搬送されていた・・・。

「大久保連赤」以来の一大スクープに脇立つ社内だが、上層部はどこか乗り気でない。社内で動く不穏な空気や確執、悠木の親子関係や暗い過去、新聞の本当の報道とは・・・。横山秀夫による傑作長編小説である。

 

みどころ

過去の栄光に縛られ、自身の身の安全しか考えない上層部

過去群馬の事件といえば「大久保事件」と「連合赤軍事件」を指す。その二つの事件は地元記者にとって後にも先にも二度と起こらないような大事件であった。その二つの事件を経験してきた古参の記者は天狗になっていた。「大久保」の昔話で美味い酒を飲み、「連赤」の手柄話で後輩記者を黙らせ何事かを成し遂げた人間であるかのように振舞っていた。その「大久保連赤」以上の大事件である「日航ジャンボ墜落事故」によってこれまでの栄光と思われた歴史が上書きされてしまう、若者たちに大手柄を譲ってしまうという気持ちがあってか、粕屋局長や追村次長にの妨害にあい、次々と重要記事を落としてしまう。結果悠木は記事を書き上げた後輩たちからも信頼を失ってしまう。

 

地方新聞社の社内抗争や地方新聞社としての本当のあり方について考えさせられる。本当の新聞社としてのあり方はありのままの情報を読み手に正確に伝えることだが、広告枠や地元企業とのしがらみによって落とせない記事も出てくる。また上記にあるように過去の栄光に縛られた人たちはそこまで大げさに日航を取り上げなくてはいいのではないかという消極的意見さえ出てくる。結局本当に伝えたいことは後回しに、自分に有利に働くような記事構成しか考えず、読み手のことを考えない意味のない記事となる。主人公の悠木でさえ隔壁が日航墜落の主原因であるという情報を一面に乗せることができなかった。(ただしあれは情報に確証が持てなかったためと述べられているが)

 

自分自身の昇進のために根回しする人、ゴマをする人、僕も短いながら大企業に勤務し、そういう人を少なからず見てきた。本当に会社として進むべき道はどこなのか?会社として真にすべき仕事はなんなのか?、それができない会社は潰れていくだろう。

新聞記者ではないが、僕もブロガーなので記事を書く。もちろんバズりたいしアクセスがいっぱい欲しい。そんな記事ばかり書いていたら「あれ?そもそもなんでブログ書いていたんだっけ?」と悩んでしまう時がある。「楽しみながらブログを書いてそれで収入が得られたら嬉しい」の楽しみながらが最近消えてしまっているように思える。しかし、収入がない記事を書いても仕事としては成り立たないので、これからも葛藤して書いていくだろう。果たして僕は納得のいくブロガー人生を送ることが出来るのだろうか?

 

悠木と淳、安西の息子燐太郎の親子関係

 悠木は幼い頃に父が蒸発し、父親としての接し方がわからない悠木は常に息子淳の顔色を伺いながら育ててきた。自分に逆らうようならば、暴力を持って淳を躾けた。結果、父親に心を開いてくれない子供に成長してしまった。そんな中、安西が突然倒れ植物状態になってしまう。悠木は安西の息子燐太郎がかわいそうと思う反面、自分と淳の親子関係を修復するために燐太郎を利用し、3人で山を登るようになる。

親子関係に亀裂が入ったところを燐太郎によってうまく修復できているように思えたが実は悠木が淳を山に誘った時点で、すでに淳は心の中で喜んでいた。そのことを淳は燐太郎に打ち明けてはいたが、その話を悠木にしてしまうともう二度と山に誘ってくれなくなるのではないかと不安に思った燐太郎は打ち明けられずにいた。

 

僕の父も実は中学の時に父(僕からいうと祖父)をなくしており、子供にどう接していいかわからないまま僕を育ててきたらしい。僕の父は忙しくても休みの日には一緒に釣りに行ったり何処かに遊びに連れて行ってくれたりとよく構ってくれたことを記憶している。父に何処かに遊びに誘われるということはとても嬉しいことで、淳の喜びには僕も共感できた。悠木と淳の親子にはただタイミングがなかっただけなのだ。

子育てに正解はないと思う。ただ子供の顔色を伺うということはせずに悪いことは悪い良いことは良いと教えるような子育てができていたら人間としていいのではないかと思う。その判断ができない時は子供と一緒に考えて親子共々成長しいけたらいいのではないか。(独身男が言うのもなんですがw)

衝立岩への再挑戦

安西と悠木が一緒に登攀するはずだった衝立岩。しかし予定の前日に日航は墜落し悠木は日航全権デスクに、そして安西は伊藤販売局長の指示で飯倉専務のためにスナックに聞き込みに行った途中で倒れて植物人間状態に。

事故から17年後、夢半ばにして消えてしまった衝立岩登攀を今度は亡き安西の息子燐太郎とともに挑戦することになる。

悠木はあと少しのところで状態を崩すが、息子淳のハーケンにより再び息をふきかえす。そして最難関第一ハングを突破する。

 

ハーケンを介して悠木と淳の親子の絆が確かに見えるいい場面である。突破したことによる達成感から悠木のこれまでの思いがどっと溢れる回想シーンが始まり物語は終焉を迎える。

僕自身山や絶壁を登ったことがない(ボルダリングは一回だけ経験している)が、きっとその達成感は何とも言えない爽快なものなのだろう。「何のために登るのか」という悠木の問いかけに安西は「下りるためさ」と答えていた。何かを決断する時、自分自身を見つめ直す時に人は山に登りたくなるのかもしれない。

 

あとがき

要所要所をかいつまんだだけで、ストーリーの流れまでは特に書かなかった。(特に本書のタイトルにもなっているクライマーズ・ハイについてはほとんど触れていないw)この記事を読んで興味を持っていただけたら、是非「クライマーズ・ハイ」を読んでいただきたい。