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徒然なるままに・・・

就職→起業→独立(いまココ)の日々を綴ります。

自意識をこじらせた桃太郎

小話

ももたろう ?【デジタル復刻】語りつぐ名作絵本?

桃太郎と言う化け物は如何にして誕生したのか(2000字程度)

 

鬼を倒せなかった桃太郎の話

子供のころ、僕はいつか自分が鬼を倒すのだと信じていた。

鬼の被害を伝える知らせを聞くたびに、どこか高揚感を覚える自分がいたし、年老いた父母の目にも鬼への畏怖と同時に我が子に期待する気持ちが見え隠れしているのを幼心に感じていた。僕は凡百の人々とは違う、選ばれた存在だと思っていた。事あるたびに父母が語る自分の出生譚も僕の自尊心をより強固なものにした。

「お前は桃から生まれたんだよ。つまり、神様が子供のいない私たちに授けてくれた神の子なんだよ。きっと、私たちだけじゃなくて鬼に苦しむ世の中の人々を助けてくれる救世主になるんだよ」

 

僕の十八歳の誕生日、鬼たちが僕らの村にやって来て父と母を殺していった。

その一年ぐらい前から鬼たちがこの辺りの土地を狙っているという噂が広がっており、家族ぐるみで仲の良かった隣の一家も親戚の家に疎開すると言って南の方へ引っ越していった。他にも多数の避難者が村から出ていき、村は日々街道沿いの賑わいの記憶を失っていくのだった。ただ、その頃から腰を痛めて寝たきりに近かった母には生まれ育ったこの村を今さら出ていくのは体力的にも精神的にも辛いものだった。そもそも、村を出て行ったところで近しい親戚もいない僕たちに頼るところはなかった。「鬼が来たらあんただけでも逃げるんだよ」母の看病をしていると、母は僕によくそう言った。

その日も母の体調が芳しくないということで、父が母の看病をするため家に残ることになった。その日は特に腰が痛むらしく、「もういっそのこと鬼が来てくれたらいいのにねぇ」などとぎょっとするようなことを呟いた母を、「縁起でもないことを言うんじゃない!」と父がきつく叱っているのを横目に、僕は山へ柴刈りに向かった。

 

日暮れとともに山を下っている途中、真っ赤な夕焼けを浴びながら村が燃えているのが木々の合間から見えた。背負っていた薪や山菜たちを投げ捨てて山を転がり降りると、鬼たちは略奪して次の村に向かったのか、どこにも鬼の姿は見えない。代わりにそこら中に村人たちの死体が転がっている。気が狂いそうな心臓の鼓動とともに家に飛び込むと、中はめちゃくちゃに荒らされていて、寝室で両親がそれぞれ頭と胸を撃ち抜かれていた。

突然僕の日常に訪れた出来事に頭が付いていかないまま、何分だったか何十分だったか僕は部屋の中で阿呆のように立ち尽くしていた。鬼は僕にとって自分の英雄譚に出てくる空想上の存在であって、現実的な存在ではなかった。その空想が僕の現実を奪っていったということがただただ信じられなかった。視線の先には非現実的な事実が二体横たわっていただけであった。何故かは分からないが、お墓を作らないといけないという思いだけが、ふと僕の心によぎった。

二人の墓は家の裏手につくった。これ以上村にいると頭がおかしくなりそうだったので、夜は山に戻って緊急用に村が管理している山小屋に向かった。結局、村に戻ってから山小屋に着くまで、生きている村人に会うことはなかった。

 

明日は村人たちの墓も作ってやろう。そう思いながら、僕はそこまで悲しみを感じていない自分に気づいた。村人の死にも、両親の死にも。村の惨状を目の当たりにした僕に去来したのは悲しみではなく単純な驚きであった。それどころか、山小屋の床の冷たさが自身の四肢に現実感を呼び起こすにつれ、昔子供の頃に感じていたような高揚感がふつふつと湧き上がっているようにも思えてきて、僕はそんな自分自身が恐ろしく一切を考えるのを辞めようと努めた。鬼が来たことも忘れてしまって今日はもうただ寝てしまおう。しかし、そう思えば思うほど、頭の中で両親の言葉が繰り返し聞こえてくる。「きっと、私たちだけじゃなくて鬼に苦しむ世の中の人々を助けてくれる救世主になるんだよ」神の子。選ばれた存在。救世主。母の看病とともに自分の中で薄まっていた自尊心が再びその太い鎌首をもたげながら僕の心臓を締め上げてくる。僕は皆を助けられなかったんじゃない。助けるために生き延びたんだ。僕は、先ほどまで胸の奥にあった罪悪感が、締め付けられるような胸の痛みとともに消えていくのを感じながらいつの間にか眠ってしまった。

意識が途切れる直前、どこかで梟の鳴く声が聞こえたような気がした。弔いのような長い鳴き声だった。

 

そして、僕はプロブロガーになった。

プロブロガーになって日々、鬼の悪事を糾弾する記事を書いている。鬼と人間が長き戦乱を経て、十五年前和平を結び、敵とか戦争とか言う言葉が過去のものになっても僕は記事を書き続ける。僕にとって記事は吉備団子なのだ。一つ一つの記事が鬼に対する人間の敵愾心を煽り、いつかそれが皆の声となって鬼たちをこの世から駆逐するのだ。時々、事実無根の内容や過激な意見を書いて炎上することもあるが、そんなものは昔見たあの炎を思い出せば、何にだって耐えられる。

そんな中、時折考えることがある。あの日から幾度となく自己暗示のように繰り返してきたあの言葉は僕にとって自身の存在意義を規定するものではなく、呪縛なのではないだろうか、と。普通の人々が成長していく過程で自ら定義し変化させていくべき中心教義を僕は形成し損ねてしまったのではないか、と。しかし、倒すべき敵が両親を奪った具体的な鬼から抽象的な概念へと昇華されていくのに抗いながら僕は記事を書き続けるしかない。それ以外の術は僕には思いつかない。

 「鬼の鬼畜の所業で打線組んだ」という記事をアップしていると、窓の外から鬼と人間の若い男女が愉し気に笑い合う声が聞こえてきた。